三十七枚。金剛山転法輪寺でおもいがけず山木仁衛こと蔵人右少弁俊基に会った正成は、俊基から後醍醐天皇の倒幕の趣意を告げられる。そのところを今日書く。これが元享三年のことで、創作ノートは元享四年からつくってあって、ようやくとば口までくる。何度…
三十六枚。「太平記」のわりと最初のほうのところで、後醍醐天皇のとりまきたちが玄慧法印という学者を招いて唐の文人韓昌黎(かんしょうれい)の文集中の「昌黎潮州に赴く」という文章の講義を聴く話がある。韓昌黎の甥で文章は不得手だが道教の仙術につうじ…
三十五枚。トイレにも起きず熟睡。久しぶりに夜のメモなし。頭の中が少し雲のある秋の空の如し。数日前に名無しで登場させ、越智四郎邦永の首実検をさせた金剛山寺の行者の名を空如とする。架空の登場人物も名をえると途端に生々とする。ハイデッカーの真理…
三十四枚。越智氏討伐書き終える。若干要挿入。一章の三分の二を終える。昨日から少し冷えるようになって長袖を着る。寝間着も長袖にして袖が捲れないよう袖止めをつける。日常のものごとに謙虚に素直になる。今、「なぜ小説を書くのか」と問われれば、若い…
三十一枚半。夜中に越智邦永を討つところまでのメモを何十枚かとって多少寝不足気味。先のながい話なので、できるだけ体をいたわりながら書きたいのだが、体調を見ながら書くというのはなかなかむずかしい。私の持続の志ははじめから杖を突いているような案…
三十枚。まだちょっと立って書いている感じ。人は死ぬまで生きるという程度のありきたりな覚悟しかなくて、老いが少し重い。風呂上がりにのる体重計に表示される体内年齢はずっと実年齢よりひとまわり若いが、その自分の体がだいぶん草臥れているように感じ…
二十七枚半。「土」の末尾に(昭和四十三年六月~十二月)とあって、ほぼ六ヶ月で書かれたことがわかるが、するとこの作品はひと月百枚くらいのペースで書かれたことになる。一日三枚以上、少し弱ってきた自覚のある心臓がドキドキするほどのおどろくべきペー…
二十五枚半。越智舘への攻撃を書き始める。正成に天才的な軍略の才があるわけではなく、悪党の実践的な才覚があるだけだということをおさえて書く。のちには勤王の志に目覚めて武士としての自覚がともなうようになるが、元享二年のこのころにはかなりあくど…
二十四枚半。倒幕の思案を深める後醍醐天皇の夢枕に河内の楠木正成という武士が立ったというような話はまったく荒唐無稽でそれこそ話にもならないので、二人を結びつけるお膳立てをするのにいちばん蓋然性がある蔵人右少弁俊基の仮の姿として、渡辺党討伐の…
二十三枚。楠木の系譜には女のことがほとんどなく、正成の母や妻のことが皆目わからない。系譜を研究するときに母親や妻の出自が辿られればその社会的ポジションから多くのことがわかってくると思えるのだが、諸本、端からそれを諦めていて、後世に贋作され…
二十二枚。貝吹山に詰城を持ち、その麓に二つの馬塲があって三方を丘、ひらいた一方が濠で囲まれた舘をかまえていた越智氏の兵力はどれほどのものだったのか。越智荘一荘の当知行で養える兵力など知れたもので、いろいろと計算の仕方があるが、せいぜい百人…
二十枚半。今朝起きたときふと、湯浅勢との戦いのところの細部の描写を一、二行加筆しておきたいとおもった。具体的な案があるわけではなく、描写の不足を自覚したわけでもなく、筋立てにかかわる不可欠な記述の書きこぼしがあるともおもえない。何か霧の中…
十九枚半。湯浅党討伐のところへ一枚半挿入する。もういちど冒頭から目をとおして加筆の要があれば加筆してから、できれば今日から越智討伐にかかる。創作ノートをつくっているときは足利尊氏からの視点を軸にして五年くらいかけて書くつもりだったが、本稿…
十八枚。湯浅党討伐を書き終える。空行をおいてから戦後処置に短く触れて次ぎの越智討伐へむかわせる。まだ創作ノートの一頁目にも入っていないので血腥い描写は避けた。そんなシーンはあとでいくらでも出てくる。中世において近代日本社会の原型があらまし…
十七枚。あと二枚ほど湯浅討伐の実戦部分の下書きを書いてあるが、どうもしっくりしない。たぶんちょっと前まで戻って書きあらためることになる。ペースのことはおいて腰を落ち着けて書きたい。まだ冒頭を書き始めたばかりで先がながいのに、こんなことで大…
十五枚。高野山と湯浅氏のあいだで相論のある阿弖川(あてがわ)荘押領のため安田庄へむかうところまでいちど書いたところを半分以上書き直して書き終える。今日は安田庄を救援にきた湯浅一族との戦いを書く。柔道の乱取りのような書き方になってきた。地図で…
十四枚。すでに御家人としての身分を持っている湯浅氏と越智氏を六波羅探題の要請で討つ以上、正成も朝廷なり幕府にそれなりの地位をえていなければならず、それならば正成が兵衛となったのが後醍醐天皇の倒幕に参陣したときだという説は成り立たず、湯浅、…
十二枚。ただし、摂津の渡辺党、紀伊の湯浅氏、大和の越智氏討伐の命を六波羅からうけるについての楠木の素性に関しての説明のような挿入が一枚ぶんあって、もしかしたらこれを早々に削るなり書き直すなりしなければならないので、あまり書きすすんでいない…
十枚。物語の本筋の前段で早くも挿入が入り出し、予定したところまでは書きすすめなかったが、余計なことを書いている感じがしないのであまり気にならない。内容を云々する段階ではないということもある。過ぎたるは及ばざる如しとか、足りざるはなきに等し…
八枚。昨夜から雨。朝方、空調を使わず窓を開けて湿った空気をとおす。息が楽な気がする。正遠から家督を継いだ正俊が病で急逝し、子の正氏が跡目をとるにあたって叔父の正成が後見となるところまで書く。これが元享元年のことで、翌年、六波羅探題から摂津…
六枚。今夏はほんとうに暑かったので秋のおとずれが待ち遠しい。週二回、晩飯前に呑むコップ一杯の焼酎が少し夏バテ気味の体によく利く。書き始めたばかりの小説はまずまずの立ちあがり。これまでこういうことはあまりなかったことで多少気味がわるい。実存…
第一章は正成が家督を継いでから後醍醐天皇の幕府討伐の意向をうけた日野資朝の勧誘をうけるまで。一日一枚ペースで二年半かける。取り敢えず十月いっぱいで一章を書き上げる。書き出しはどうしても少しもたもたするが、推敲での修正に委ねるということで書…
わからないことが多い楠木正遠、正俊をどう書くかに当面腐心している。構成上の主人公はやはり後醍醐天皇と尊氏と正成だが、正成と正俊の子の正氏と愚中周及を隠し軸にすることで小説らしくする。小説らしくということはこの場合、面白くするということ。書…
創作ノートへの個人データーの書き込みがまだすんでいない登場人物が後半に登場する人物ばかりになったので、今日の午後から作品を書き出す。とりあえず一日一枚ペースの予定。書きながら創作ノートへの書き込みをして年内に仕上げる。今度の作品は読み物と…
空調を二十八度に設定して籠もっている部屋に外気の暑さがどこからともなく忍び込んでくる。今夏はことのほか暑い。次作の創作ノートへの登場人物の個人データーを一日三人のペースで書き込みながら、人間がもしもっと長生きしたら人間の価値観や人生観はど…
次作でつかう国土地理院の地形図二十三枚のうち十一枚を発注する。書き出すとすぐにも要るぶんで、あとは来年になって少し書きすすんでからあらためて必要性を検討して求める。人間社会の進化という概念がなかった昔の人間は、平らな地面のうえで苦楽に鼻輪…
雑用を片づける。あれもこれもと考えていると煩雑なので、メモをとって一つずつ片づけていく。およそ片付いたので、今日から次作の創作ノートの書き込みを再開する。頭の中まで片付いてしまってブログに打つことも何もない。 酒盛正の電子書籍 ↓ ↓ ↓ ↓ (表紙…
午前中、図書館へ行く。次作の資料になる本を探したが、あまりなかった。基本、大事な資料は自腹で買うしかない。それでも書き始める直前の本格的な資料集めの手始めには図書館へ行く。ひさしぶりの外出だったので、暑さもあって疲れる。作りかけの創作ノー…
推敲五百九十枚了。今日、明日二日かけて最後にもう一度目をとおして一丁上がり。しっかり書けたという感じがする。長編小説のフィナーレの最大のイベントは書き手の自己満足。ニーチェが言うところの実存的陶酔。しかし、その先をニーチェは言わない。それ…
推敲五百十枚。あと三日、ひと息なので慌てずやる。気張りたいのだが、一昨日寝違えた首がまだ具合がわるくて、気張ろうとすると柱と梁の枘がずれたようになってうまく力がはいらない。何年かにいちどの長編を書き上げるフィナーレの一瞬なので、できればも…